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ゲシュタルト療法とは

ゲシュタルト療法とは

ゲシュタルト療法の歴史と現在

ゲシュタルト療法は、1950年代にフレデリック(フリッツ)&ローラ・パールズ夫妻、ポール・グッドマンらによって生み出されました。パールズ夫妻はもともと精神分析医でしたが、1947年に出版した「自我、飢餓、そして攻撃性」で精神分析と決別し、1951年出版の「ゲシュタルト療法-人間性の活力と成長-」によってゲシュタルト療法を世に送り出しました。

ゲシュタルト療法の生成は、精神分析、ゲシュタルト心理学、実存主義・現象学、東洋思想などの影響を受けています。フリッツはフロイト派のライヒから教育分析を受け、彼の「有機体的自己統制(organismic self-regulation)」や「筋肉の鎧(muscular armor)」などの考え方に大きな影響を受けました。

また「ゲシュタルト」という言葉は、「形の全体像」「統合された全体」を意味し、「地と図」と共にゲシュタルト心理学が生んだ概念です。

また実存主義・現象学から「今・ここ」の「気づき」など、さらに禅や道教から「無」や「陰陽」の思想を取り入れています。

フリッツは、天才的に直観が優れた人で、これらを〝右脳的〟にブレンドしてゲシュタルト療法を臨床的に確立しました。ところが彼は〝左脳的〟な人ではなかったので、これを理論的・体系的に整理することに力を注ぎませんでした。それをしたのは、妻のローラと、ポール・グッドマンです。

1952年には彼ら主催の勉強会が発展してニューヨークに、さらに1954年にはクリーブランドにゲシュタルト研究所が発足しました。その後、全米各地に、そして今では欧米を中心に世界中にゲシュタルト研究所が開設されています。
1960年代、フリッツはラジオの定時番組を持つなど時代の寵児的な活躍を見せ、多くの場でゲシュタルト療法のデモンストレーションを行いました。この頃の彼のワークは短時間で劇的な結果を生む〝瞬間芸〟的なものでした。その結果、様々な意味で矛盾と誤解が生じ、ゲシュタルト療法から人々の心が離れて行きました。「グロリアと3人のセラピスト」のビデオには、この頃のパールズが収録されています。

1970年のフリッツ没後、ローラやイザドア・フロム、ポルスター夫妻などの着実な努力により、ローラの言う「体験的、実存的、実験的」な療法としてのゲシュタルトが徐々に再評価されるようになりました。

現在のゲシュタルト療法の柱は、実存主義・現象学、「我-汝」の関係(M. Buber)、場の理論(K. Lewin)、変容の逆説的な理論(A. Beisser)です。これらをベースに「体験的、実存的、実験的」である限り、そして他の手法と混合させない限り、それがゲシュタルト療法であるという考え方に基づいて発展を続けています。

最近ではエンプティーチェアを使わない「関係対話療法」が欧米で盛んになりつつあり、また企業組織のコンサルティングにもゲシュタルトの手法が活用されるようになってきています。

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