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チキンスープは毒になる? ゲシュタルト療法に学ぶ「本当の支援(support)」


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「困っている人がいたら、助けるのが当たり前」。


そう思っていませんか?


もちろん、それは素晴らしい心遣いです。


けれど、もしその「助け」が、知らず知らずのうちに相手の成長を妨げ、自立の芽を摘んでしまうとしたら?


今日は、心ゲシュタルト療法の視点から、「援助」のあり方について、少し立ち止まって考えてみたいと思います。



「チキンスープ」に隠された、意外な真実


今回ご紹介するのは、ゲシュタルト療法の草分け的存在であるロバート・レズニックさんが、1970年に書いたエッセイ「チキンスープが毒になる?」(Chicken soup is poison)。


なんとも刺激的なタイトルですよね。


彼はこのエッセイで、「チキンスープをふるまうこと」を、他者を助けようとする行為、つまり「何かをしてあげる」行為の比喩として用いています。


「チキンスープ」は、体が弱っているときに温かく、優しく、私たちを癒してくれるもの。まさに「援助」の象徴のように思えます。


しかしレズニックさんは、「チキンスープは食べる者にとっても、もとはといえば犠牲になった羽根のある者にとっても、命取りになりかねない」と警告します。


どういうことでしょうか?


彼は、多くのセラピストが自分たちを「援助専門職」だと捉え、クライアントのために最善を尽くそうと「チキンスープ」を差し出すことで、結果的に真逆の効果をもたらしてしまうと指摘します。


つまり、彼らの「援助」が、クライアントの成長を妨げ、人間としての自立を奪ってしまうというのです。



「援助(help)」と「支援(support)」の違い:自立を促す、絶妙なバランス


レズニックさんは、ここで重要な区別を提示しています。


それは、「援助(help)」と本当の「支援(support)」の違いです。


私たちが「援助」として相手が自分でできることを代わりにやってあげると、その人は自分の足で立つ機会を奪われてしまいます。


もしあなたが、「相手は無力で、何もできない」と信じ込んで、あれこれと手を差し伸べてしまうなら、それは「援助的」になってしまい、相手の自立を妨げることになります。


ゲシュタルト療法が目指すのは、「環境からの支援(environmental supports)を、自分自身からの支援(self-supports)に置き換えること」です。


私たちは誰かに何かをしてもらうばかりではなく、自分自身でできることを増やし、自分の力で生きていく力を育む必要があります。



「行き詰まり(impasse)」は成長のチャンス


セラピーの中で、クライアントが普段使っている「他者から援助を引き出すための操作的なやり方」が通用しなくなることがあります。


レズニックさんはこれを「行き詰まり(impasse)」と呼び、「デッド・ポイント」とも表現しています。


この「行き詰まり」の状態に陥ると、人は混乱し、無力感に包まれ、空虚さを感じます。


なぜなら、これまで通用していた「助けてもらうための戦略」が使えなくなり、どうしていいかわからなくなるからです。


しかし、レズニックさんによれば、この「行き詰まり」こそが、新しい成長の種となるのです。


もしここでセラピストが安易に「援助」を提供してしまうと、クライアントは「小さな子ども」の状態に留まり続けてしまいます。


セラピストがクライアントの操作に耐え、安易な「チキンスープ」の提供を止めれば、クライアントは自分自身の内なる力を探し始めるきっかけを得るのです。



「なぜ?」のメリーゴーランドから降りる勇気


論文の中でレズニックさんは、クライアントがしばしば陥る罠として、「なぜ(Why)のメリーゴーランド」に乗り続けることを挙げています。


私たちは何か問題に直面すると、「なぜ自分はこうなんだろう?」「なぜこんなことが起きたんだろう?」と理由を探しがちです。


もちろん、理由を知ることは大切ですが、レズニックさんは「理由がわかったからといって、行動が変わるわけではない」と強調します。


多くの人は、「理由さえわかれば変えられる」という誤った信念にとらわれ、過去の出来事や他者のせいにして、自分自身の行動を変えることから目を背けていることがあります。


ゲシュタルト療法では、「なぜ」という問いよりも、「どうやって(How)」という問いを重視します


 「なぜ私はいつも同じ失敗を繰り返すのか?」ではなく、「私はどのようにしてこの失敗を引き起こしているのか?」と問うことで、自分の行動パターンに気づき、それを変えるための具体的な一歩を踏み出すことができるのです。



あなた自身が「チキンスープの料理人」になるために


レズニックさんの論文は、私たち自身の「人間観」や、「役に立ちたい」という自己欲求が、知らず知らずのうちに他者の自立を妨げてしまう可能性について問いかけています。


真の「支援」とは、相手が自分でできることを「代わりにやってあげる」ことではなく、相手が自分自身の力に気づき、それを発揮できるよう、そっと「支える」ことなのかもしれません。


もし今、あなたが誰かのために「チキンスープ」を作ろうとしているなら、あるいは誰かから「チキンスープ」を差し伸べられていると感じるなら、一度立ち止まって考えてみてください。


「このチキンスープは、本当に相手の、そして私の成長につながるのだろうか?」


ゲシュタルト療法は、あなたが他者に依存することなく、自分自身の内なるリソースとつながり、主体的に人生を切り開いていく力を育むことを応援しています。


あなた自身が、自分の人生の「チキンスープの料理人」になるために。



Resnick, R. W. (1970). Chicken soup is poison. Voices: The Art and Science of Psychotherapy, 6(2), 75–78.

 
 
 

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